香港鳳凰衛視文化大観園・王魯湘・奈良古梅園
『蘊承軒・国際文化芸術窓口』系列之十六
2016年12月27日,是个细雨淅沥的雨天,香港鳳凰衛視文化大観園・王魯湘先生取材团一行,来到了奈良御墨司古梅園!古梅園的第16代传人松井晶子社长和部长竹住享先生热情的接待并案内了这个400年老店,向王鲁湘先生讲述了古梅園引以为荣的历代当主的业绩,见学了冬季阶段正在制墨的工序部分,最后王鲁湘先生挥毫试墨为古梅園留下墨宝!
这期简单介绍一下古梅園的建筑外观、再将『古梅園墨譜里』的历代制墨逸话介绍给我的读者……
古梅園是1577年创业日本最古的墨司,店铺等建筑登录成为有形文化财。主体部分是2层建築,全体是和式木造,1000坪的敷地。在周围逐渐现代化的建筑群里,这纵深木式建筑依然屹立在这里,散发着他独有的历史芬芳!
淅沥清雨中,撑着伞与王鲁湘先生采访团一同来到古梅園,受到晶子社长热情接待……喝过梅子茶(梅昆布茶)王鲁湘先生说这是进古梅園的第一印象:进古梅園,先喝一杯酸梅做成的“古梅茶”!
然后卷暖簾,但见铁轨伸延,细雨轻洗庭园,景致越发的美了!顺着铁轨的線路往里走过长廊,中庭尽现眼前:右边有一株雅姿的梅树,梅苞初成,晶子社长和王鲁湘先生一同感叹憧憬梅花绽放时的芳香了!古梅園的第三代传人很喜欢梅树,所以命名为“古梅園”。
梅树旁是见学展示厅,再往里相邻的空间置有炉灶,是制墨不可缺少的熬膠重地。这里熬膠担当的匠人是来上班最早的,根据季节每天的天气温湿度,早时四、五点来到墨司……这里線路的左侧则是採烟的「油烟蔵」,桐油、菜种油、芝麻油、椿油等油烟在这里採取。「油烟蔵」的前手位是古梅園的又一个代代传承下来的木质看板,一颗大树裁断下来的整板,万国博览会日本的墨受到特别好评荣获的奖牌,还有在日本国内荣获的奖牌也镌刻在看板上…这里被我定为拍纪念照景点之一!
再顺着铁轨走向深处,视野开阔的奥庭园展现眼前。从左侧开始木型入屋、灰乾燥室、自然乾燥室、刻墨木模室等制墨分工工房包围着和式红梅庭园。整个古梅園庭园里回廊间都会偶见一小盆不经意似的花草放在那里,也或一个小饰物挂在壁上石旁,一同演绎着奈良古梅园的代代不衰的墨司精神!
王鲁湘先生试墨时看到『古梅園墨谱』里的几段日中制墨交流逸话,我在这里将这逸话的感动与惊奇稍加介绍与大家分享!
【大凡墨皆用牛膠鹿膠其他膠法雖多未當有象膠也享保十四年外国貢象 官庫藏其皮寬保三年 官命曰象皮為膠以製墨足以為一奇乃賜之彙於是凝思研精得采膠之法煤用黑麻煙據韋仲将法以製之乃铭曰香象墨以献之 東都出 松元彙謹識】
製造墨,一般多用牛膠・鹿膠。其他种类的膠也有很多,象膠却没有。享保十四(1729)年、外国向日本进献了一头大象、之後象皮被收藏在幕府官庫里。寛保三(1742)年幕府御命「用象皮提炼膠、用象膠制成墨的话、将成为多么珍稀的東西。象皮被賜给元彙。元彙苦思冥想、反复研究、找出从象皮取膠方法。煤用黒胡麻油煙,用韋誕的製法制墨、并命名「香象墨」。
「注」韋誕 三国魏国人、字仲将。善書法、製墨技艺超绝。传『三国志』巻21。宋・李孝美『墨譜法式』巻下、法(製法)「仲将墨」。韋仲将的法是:「仲将墨 醇煙一斤以上、以膠五両、浸梣皮汁中、不可下。雞子白去黄五顆、亦以朱砂一両、麝香一両、别治細籂、都和稠」
【 右二品、大小四種、元文已未秋、予在崎港日、以家製之松油二種煤、附帰帆之唐客庚申冬、徽州官工程丹木、以唐膠剂墨数十挺、托福州徐兆行逺寄、是予家百世可寳、以吾國煤所製之唐墨、前世未聞有之、諒可謂天下之珍墨乎、故登譜者也。 平城官工 泉州司馬貞文謹識】
有两品墨大小四種是元文己未四年(1730年)秋、元泰(六代)去長崎、将自家採取的松煙和油煙煤二種煤,托付给帰国的来自大清国人,第二年的庚申(元文五年、1740年)冬,徽州的官工程丹木监工,用中国的膠做了数十挺墨,再由福州徐兆行带到日本。这在松井家族百代后也是家宝。日本国烟煤中国的膠在中国制成唐墨,这是当时闻所未闻的。真可称其为天下奇珍。
元泰(第六代)时期日本闭关锁国时期,还不能自由与中国交流学习,元泰通过幕府得到特别许可,在长崎向中国代表团学习制墨技术。王鲁湘先生讲:元泰一定是一位特别有社交能力,又热心研究制墨技术的匠人,所以製御墨,幕府指定他做象膠墨,又能借助幕府的力量特别开放长崎为制墨交流的窗口,所以成就了日本煙煤中国膠,在中国监制的天下奇珍的墨!这可能是中日制墨技艺交流中最早的合作吧! (下期继续……)
訳文
初めに日本の読者のためにインターネットに載せている鳳凰衛視に関することを引用し、簡単に紹介する。
『鳳凰衛視テレビ局』:鳳凰衛視控股有限公司は、中華人民共和国香港特別行政区に拠点を置く中国語圏向け民間衛星テレビ局である。日本での通称はフェニックステレビ。単に「香港のテレビ局」と呼ばれることも多いが、香港で受信することはできるものの、香港を主要な放送対象とはしない(「非本地電視」)。主に標準中国語と繁体字によって放送しており、「全世界の華人向けのCNN」を目指しているとされる。
概要編集:1991年に放送を開始したスターTV(現STAR)傘下の衛視中文台を前身とし、1996年に独立した。総合編成の鳳凰衛視中文台、24時間ニュースを放送する鳳凰衛視資訊台、映画専門の鳳凰衛視電影台 があるほか、ヨーロッパ向けの鳳凰衛視歐洲台、北米向けの鳳凰衛視美洲台 、香港向けの鳳凰衛視香港台がある。
東南アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリアなど世界150カ国以上で視聴できる。中国だけで推定2億人の視聴者がいるとされる。日本では、NHKのBS1が『アジアクロスロード』で放送している「時事弁論会」という討論番組が特に有名である。テレビ朝日とは共同番組を制作するなど協力関係にある。スカパー!プレミアムサービスの「鳳凰衛視」チャンネルで24時間放送されている(放送事業者は大富)。
『文化大観園・王魯湘』:2006年鳳凰衛視は王魯湘MC(司会)に合わせて設立された『文化大観園』は鳳凰衛視の一つの毎回30分間人気文化系番組、昨年はこの番組の十周年である。王魯湘は1956年湖南省に生まれ,1978年湘潭大学中国語専攻,1987年北京大学哲学専攻大学院。2000年清華大学美術学院教授。2001年鳳凰衛視プロデューサー、MC。著作家。この番組の視聴者は世界中の中国語圏文化教養高い層であると評価されている。番組の話題は伝統文化を中心とし、王魯湘は“中国文化現今唯一の喉舌”と言われている。
雨がしとしとと降る2016年12月27日,香港鳳凰衛視文化大観園・王魯湘先生取材団が奈良御墨司古梅園を訪ねた!古梅園の第16代目松井晶子社長と部長竹住享先生が出迎え、そしてこの400年の歴史を誇る古梅園を案内してくれた。王鲁湘先生に古梅園の歴代当主の業績も話してくけた。王魯湘先生は冬季にやっている制墨工程部分を見学し、最后王鲁湘先生試筆の墨宝を古梅園に残した!
この記事に古梅園の建築外観、と『古梅園墨譜里』の歴代制墨逸話を私の読者に紹介しよう……
古梅園は1577年創業された日本最古の墨司である。店舗等建物は登録有形文化財に登録された。主体部分是2階建て,全体は和式木造,1000坪の敷地となる。周囲段々現代化になる建築群の中,この様な広々な木式建築依然屹立して、その独自な歴史的な芳しい香りが満ちているしている。
しとしと清雨中,王魯湘先生と取材团一同は古梅園の梅昆布茶を飲んで、王魯湘先生は此の様に述べた:これは古梅園に入った第一印象です、古梅園に入り、先に一杯酸梅で作った“古梅茶”を飲む!(”古梅茶”は王魯湘先生が即席命名した名前(^^))
その後暖簾をくぐり、奥迄延びっていく線路が目に飛び込んだ,細雨は庭園を軽洗したようで、,眺め景色がいっそう美しい!線路に沿って奥に進むと,中庭の姿が現れた:
右側一株雅姿の梅樹があり、梅苞できたばかり、晶子社長と王魯湘先生は一緒に梅花が満開時の香りを憧憬しながら感嘆した!古梅園の第三代目は梅が大好きで、“古梅園”と命名した。
梅樹のさらに奥は見学展示室です、その隣は二つ大きな竃が並んでる——製墨に不可欠な膠を溶かし要地。膠を担当匠人は早朝からの仕事となる。每日的天気温湿度を感知し,朝四、五時に墨司に仕事する時もある。……ここ線路的左侧は採煙の「油煙蔵」,桐油、菜種油、胡麻油、椿油等の油煙煤はこの蔵で採取する。「油煙蔵」の手前は古梅園のまた一つ代代伝承して来た木质看板である。大樹丸太を裁断出来た立派な板に,万国博覧会に日本古梅園墨が特别好評を得て、その受賞のメダル,また日本国内得たメダルも看板に刻んでいる…この看板は私が古梅園記念景色の一つと勝手に決めた!
更に線路を進んでいくと,視野広がり奥庭园が表れた。左侧の建物は型入れ、灰乾燥、自然乾燥、墨木型刻む室等の制墨工房包囲している和式紅梅庭園。古梅園庭園中、回廊の间よく偶然のように何に気なく一つの花草を置いてある。あるいは一個小飾り物を壁に掛けて、あるいは石の側に……全てが一同に奈良古梅園の代代不衰の墨司精神を演繹している!
王魯湘先生試墨時に読んだ『古梅園墨谱』中の日中制墨交流逸話,私がここでその逸話をすこし紹介し、その感動と驚きを分かち合おう!
【大凡墨皆用牛膠鹿膠其他膠法雖多未當有象膠也享保十四年外国貢象 官庫藏其皮寬保三年 官命曰象皮為膠以製墨足以為一奇乃賜之彙於是凝思研精得采膠之法煤用黑麻煙據韋仲将法以製之乃铭曰香象墨以献之東都出 松元彙謹識】
[訳]およそ墨を製造するには、牛膠・鹿膠を用いるのが普通である。この他にも膠には多くの種類があるが、象の膠は未だかつてなかった。享保十四(1729)年に、外国から象が献上され、その後幕府の官庫にその皮が収蔵されていた。寛保三(1742)年に幕府から御下命があった。「象の皮から膠を造り、それを用いて墨を造れば、まことに珍しいものとするに足りよう」と。象の皮を下賜されたのである。そこで、わたくし元彙は、思慮をこらし、研究を重ね、象の皮から膠を取る方法を考えだした。煤は黒胡麻油煙を用い、韋誕の製法により墨を造り、銘を「香象墨」と名づけて、東都江戸に献上したのである。松井元彙 謹んで識す。
「注」韋誕 三国魏の人、字は仲将。書にすぐれ、また製墨を善くした。伝は『三国志』巻21。宋・李孝美『墨譜法式』巻下には、法(製法)として「仲将墨」があげられている。韋仲将の法とは、この製法を指すであろう。次に全文を録しておく。「仲将墨 醇煙一斤以上、以膠五両、浸梣皮汁中、不可下。雞子白去黄五顆、亦以朱砂一両、麝香一両、别治細籂、都和稠」
【右二品、大小四種、元文已未秋、予在崎港日、以家製之松油二種煤、附帰帆之唐客庚申冬、徽州官工程丹木、以唐膠剂墨数十挺、托福州徐兆行逺寄、是予家百世可寳、以吾國煤所製之唐墨、前世未聞有之、諒可謂天下之珍墨乎、故登譜者也。 平城官工 泉州司馬貞文謹識】
[訳]右の二品大小四種は元文己未四年(1730年)秋、私が長崎に居た時に、わが家で製造した松煙と油煙煤の二種の煤を、帰国していく清国からの旅人に附託したところ、翌年の庚申(元文五年、1740年)の冬に、徽州の官工のて程丹木が唐土の膠を用いて数十挺の墨を製造し、福州の徐兆行に委詑してはるばると送り届けて來たのである。わが家では百代後までも家宝とすべきである。わが国の煤を用いて作られた唐墨が有ったなどということは、未だ聞いたこともない。誠に、天下の珍しい墨と言うことができよう。それ故に墨譜に載せたのである。
平城の官工 泉州司馬・貞文 謹んで識す。
元泰(六代目)は日本鎖国時期であった、自由に外国と交流出来なく、元泰幕府の特别許可を得て,長崎で中国代表团に制墨技术を熱心に学んだ。王鲁湘先生は此の様な感想言葉を言った:元泰は社交才能がある方で、制墨技術研究に熱心な匠人、だからこそ製御墨,幕府に指定され象膠で墨を造り,また幕府の力を借り特别長崎を鎖国時代に制墨交流の窓口を設し,そして日本煙煤と中国膠,中国で監製の天下奇珍の墨を成就した!これは日中制墨技芸最古の合作と言えよう!
(次回つづき……)