橋本関雪記念館竹内浩一VS橋本真次 竹内浩一自選作品展『風の暦より』ギャラリートーク
『蘊承軒・国際文化芸術窓口』之十九
白沙村荘 橋本関雪記念館,这里是自然和画和人間幸福而和谐、与宇宙交相感应、詩一样的安宁和平的世界。这将我们引向静寂世界的画的世界、超越時空把人们温柔的包含。
4月30日午後15時橋本関雪記念館第二回竹内浩一自選作品展『風の暦より』画廊谈话,第一回是4月16日,那时正直京都造形芸術大學通信有我担当的白描课,很遗憾没能参加。所以这第二回時与生徒及友人10人一起来拜听竹内先生的ギャラリートーク。
首先让我对橋本関雪・橋本関雪記念館・竹内浩一加以简单介绍。
【橋本関雪】:日本画家(1883~1945)明治16年(1883)11月10日生、神戸市坂本村(現神戸市中央区楠木町)父海関・母フジ的長男。明治36年(1903)20歳冬、来到京都,经光村利藻氏的紹介,加入竹内栖鳳的竹杖会。大正8年(1919)36歳时,5月15日,京都市長安藤謙介氏召集橋本関雪、竹内栖鳳、山本春挙、上村松園等人举行了关于京都美術学校新設問題協議。東京画壇在籍後、迁入京都,大正时期主要在京都画壇活動。四条派写実的動物描写的新南画,被称为新古典絵画连续发表,大正・昭和期画壇成为画坛唯一的中心人物。帝国美術院会員、帝室技芸員、1929(昭和4)年6月在巴黎举办的「日本美術展」的贡献,与竹内栖鳳、横山大観、松岡映丘等人一同荣获シュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章。昭和20年(1945),享年61歳,月心院空厳関雪居士是他生前自己写下的戒名。葬于大津市大谷町走井瑞米山月心寺。
(竹内先生ギャラリトーク記念写真)
【白沙村荘 橋本関雪記念館】:2014年9月作为新美術館開館。美術和庭園・伝統和革新相互呼应,白沙村荘橋本関雪記念館是新型的美術館。这所新美術館是橋本関雪画伯晩年憧憬的「展示棟建設計画」原貌的继续,以現代建築基準実現的。白沙村荘是日本画家橋本関雪自身为制作作品而营造的画室邸宅。10000平方米敷地里,大正〜昭和初期建築居宅,日本画制作画室三个,还有茶室、持仏堂等建造物。被指定为国家名勝的池泉回遊式庭園达7400平方米,放着很多从平安时代开始至鎌倉時代的石像美術品。庭園建造物也是橋本関雪设计的,到处反映着他的美意識,庭屋的調和景観是白沙村荘的看点。』
【竹内浩一】:1941年8月28日生 , 京都市中京区御池通御前東入父竹内源一、母清子的長男。父亲方祖父这代开始是型染友禅職人。1960年 京都市立日吉丘高校日本画科卒業。1966年 晨鳥社入塾、随山口華楊師事。1977年 山種美術館賞展大賞受賞。1979年 日展特選。1988年 日展特選。1991年 京都美術文化賞受賞 日展審査員。1996年 MOA美術館岡田茂吉賞受賞, 個展「竹内浩一上海展」(上海美術館)。1997年 京都府文化賞功労賞受賞。2002年 京都市立芸術大学教授。2007年 京都市立芸術大学退任記念展。2016年 大徳寺塔頭・芳春院的襖絵制作(京都)。
京都画壇日本画家佼佼者辈出。竹内栖鳳、西村五雲、山口華陽、竹内浩一等。
来听ギャラリートーク客人很多。橋本関雪記念館副館長橋本真次先生用独特的幽默语言方式主持,竹内先生则以他艺术家那种自由的思维表达,从各方面来讲大家一同度过了这样一个很有收获的快乐时刻。这篇记事我多写一点自己的解说都会显得多余,因为这个画廊对谈太自然有趣、所以直接介绍ギャラリートーク実況『竹内浩一VS橋本真次』给我的读者:
「橋本真次」:竹内浩一自選作品展『風の暦より』ギャラリートーク活动马上就开始了。
——然而最初,竹内先生解说之前,因为有初次到来这里的客人,所以我先说一说橋本関雪記念館。首先向大家致以真诚的问候,我是橋本関雪記念館副館長橋本真次。请多关照。
——这个纪念馆将名叫橋本関雪日本画家的作品和資料等轮回展览。竹内浩一展前回(4月16日)ギャラリートーク时我也作为一个小点讲过,橋本関雪記念館现在已经成了竹内浩一記念館。(全員笑)
——展厅有二楼一楼还有一室,一楼展厅有玻璃窗的,展出的是1972年竹内先生最年轻时的作品,这二楼展出的最新作品“象”,搬入日期是4月10日,这“象”数日前刚刚完成的。另外还有大徳寺塔頭・芳春院襖写生和画稿也在展示,全部共 45件作品,此展覧会也展出了很大的作品。
——竹内先生会给我们讲很多各种各样的话题,那么我也边说边……
「竹内」:你一直讲也可以噢!(笑)(全員笑)
「橋本」:是一直讲么(笑)(全員笑)
——这回竹内浩一展開催,是因为5、6年前开始我想日本画家中有谁的可以在纪念馆展出,并且是現在正大显身手的,又与関雪画风及画题不是相去甚远的……这时,我的脑海中闪现出几个人,感觉唯有竹内先生最合适是因为看到了他的馬的作品。
「竹内」:是“馬”吗?
「橋本」:是《漂》?
「竹内」:《漂》,是的是的!
「橋本」:看了这作品,関雪也画馬的题材,以猿为题材的人也很多,竹内先生将对被画対象和観察的不是就照原样画,而是进行自我消化和艺术升华,我感觉这样画出的真美,因此就拜托他,促成了这个展覧会的举办。这里展示関雪以外的作品,会有人发火,但这次是皆大欢喜了!
——二楼展厅里我最喜欢的是『夜さめ』,『夜さめ』您用同样表现手法画了两张吧?
「竹内」:是的,另一张也是同样表现手法同样尺寸的。
「橋本」:这这张画用線表现雨,ナマズ却没有描写,这种表現经常用吗?
「竹内」:经常用不呢〜?(笑う)(全員笑う)
——是啊,雨啦風啦像这样的东西実際看起来,并没有具体的形象,因此只有全凭感覚画,我用我的感觉画……还有也许是有一张浮世絵,画面是雷阵雨突来,打着伞,避风雨,那个雨就是用線表现的。因此我的头脑里就有了这种我喜欢的浮世絵的雨線的描写方法吧〜一定是这样的!(下期继续)
【日本語】白沙村荘 橋本関雪記念館。ここは人と絵と自然とが見事に調和し、宇宙と交感できる、詩的安らぎと幸せにみちた平和な世界がある。静寂へと誘う絵の世界は、時空を越えて人々をやさしく包含してくれる。
4月30日午後15時より白沙村荘橋本関雪記念館にて第二回竹内浩一自選作品展『風の暦より』のギャラリートークがありました。第一回は4月16日。ちょうど京都造形芸術大學の通信で、私の担当する白描の授業があったので、残念ながら行けなかったのです。第二回の今回は、私の生徒さんと友人達の10人ほどで一緒に行きました。
始めに橋本関雪、白沙村荘橋本関雪記念館、そして竹内浩一について資料を引用し簡単に紹介しましょう。
『日本画家 橋本関雪(1883~1945)は、明治16年(1883)11月10日、神戸市の坂本村(現神戸市中央区楠木町)に父海関・母フジの長男として生まれました。幼い頃より父海関から漢詩・書画などの手ほどきを受ける傍ら絵画にも興味を示し、12歳で四条派の片岡公曠に学び20歳で竹内栖鳳の「竹杖会」に入門します。
関雪は東京画壇在籍後に京都に移り、大正期の京都画壇において活躍しました。四条派の写実的な動物の描写を取り入れた新南画、新古典と呼ばれる絵画を次々と発表し、大正・昭和期の画壇において中心的人物の一人となりました。帝国美術院会員、帝室技芸員となり、昭和4年(1929年)6月にパリで開催された「日本美術展」の功績により、竹内栖鳳、横山大観、松岡映丘らと共にシュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を授与されました。昭和20年(1945)に狭心症の為に61歳で亡くなるまで精力的に活動しました。「月心院空厳関雪居士」は生前自ら記した戒名で、大津市大谷町走井の瑞米山月心寺にお墓があります。』
『白沙村荘は2014年9月より「白沙村橋本関雪記念館」として生まれ変わりました。美術と庭園、伝統と革新が混ざり合う新たな美術館です。この新美術館は橋本関雪画伯が晩年に抱いていた「展示棟建設計画」をそのまま引き継ぎ、現代の建築基準において実現されたものです。白沙村荘は元々は日本画家・橋本関雪が自身の制作を行うアトリエとして造営した邸宅でした。10000平方メートルの敷地内には大正〜昭和初期に建築された居宅と日本画の制作を行っていた3つの画室、茶室、持仏堂などの建造物が散在しており、国の名勝に指定されている池泉回遊式庭園は7400平方メートルにおよび、平安から鎌倉時代にかけての石像美術品が多く置かれています。庭園そして建造物の設計も橋本関雪の手によるもので、彼の美意識が随所に反映された庭屋の調和した景観そのものが大きな見どころとなります。』
『日本画家 竹内浩一は1941年8月28日 京都市中京区御池通御前東入に父竹内源一、母清子の長男として生まれました。父方は祖父の代から型染友禅の職人でした。
1960年 京都市立日吉が丘高校日本画科卒業
1966年 晨鳥社に入塾、山口華楊に師事
1977年 山種美術館賞展大賞受賞
1979年 日展特選
1988年 日展特選
1991年 京都美術文化賞受賞 日展審査員
1996年 MOA美術館岡田茂吉賞受賞
個展「竹内浩一上海展」(上海美術館)
1997年 京都府文化賞功労賞受賞
2002年 京都市立芸術大学教授となる
2007年 京都市立芸術大学退任記念展
2016年 大徳寺塔頭・芳春院の襖(ふすま)絵制作(京都)
京都画壇日本画家の係累は錚々たるものです。竹内栖鳳、西村五雲、山口華陽、竹内浩一と、続くのです。』
二階会場は、竹内先生のギャラリートークを聴きに来られたお客様でいっぱいでした。白沙村荘橋本関雪記念館の副館長・橋本真次先生はユーモアたっぷりの進行役を努めて、竹内先生から自由にお話を聞きだしてくださいました。色々な面で大変勉強になる楽しい一時でした。ここで余計な言葉を入れずに、ギャラリートーク実況『竹内浩一VS橋本真次』を私の読者にお伝え致します:
「橋本真次(以下橋本)」: 竹内浩一自選作品展『風の暦より』のギャラリートークイベントをまもなく始めたいと思います。
——それでは最初にですね、竹内先生にお話をしていただく前に、初めて来て頂いた方もいらっしゃるので、こちらの橋本関雪記念館のこともちょっとお話をしようかと思いまして、ご挨拶を申し上げたいと思います。橋本関雪記念館の副館長橋本真次と申します。よろしくお願い致します。
——橋本関雪と言う日本画家の作品とか資料とかそう言った物を展開しているようにしています。竹内浩一展の前回(※4月16日のギャラリートーク)もこのネタで言ったと思いますけど、(今ここは橋本関雪美術館ではなくて)竹内浩一記念館となっております。(全員笑う)
——それで二階と一階、それともう一室です。二階の方ガラスケースがありまして、1972年の一番若い時の作品から・・・・一番新作品はあちらの象ですね。搬入は4月10日だと思いますけれども、その数日前まで描かれていたと言うのを伺っていた。一番新しい作品。大徳寺塔頭・芳春院の襖(ふすま)の写生や下絵も展示されまして、全体約45点と、この展覧会はもの凄く大きな作品がでています。
——先生にですね、いろいろお話をして頂くのですが、こちらもいろいろお話をしながら・・・・
「竹内浩一(以下竹内)」:ずっと喋ってもいいよ(笑)(全員笑う)
「橋本」:ずっとですか?(笑)(全員笑う)
——今回の竹内浩一展は何故開催された?、と。5、6年ほど前から日本画家の中で誰かにやっていただきたい。『現在』で活躍されている中で、関雪とそんなにかけ離れていない作品作風をモチーフにしている人がいらっしゃらないかな〜、と。頭の中で何人かがダラダラと考えていたところで・・・竹内先生しかいないと思ったのは、馬の絵を見たからですね〜。
「竹内」:馬ですか?
「橋本」:『漂う』ですか?
「竹内」:『漂う』、はいはい!
「橋本」:あれをみまして。関雪も馬を表現していまして。猿を描く方もいっぱいいらっしゃるのだけど、やはり対象と観察をそのまま描くのじゃなくて、きちんとご自身の中で消化されて描いたところが素晴らしいな〜、と思いまして。それでお願いしてこの展覧会開催することになったんですけれども。関雪以外を出していくと、怒る人がいるんですけれども。今回は皆さん大喜びでよかったです。
——私は二階で一番好きなのは『夜さめ』ですが、『夜さめ』は二点描いたんですか?
「竹内」:そうです、もう一点は同じ大きさで同じモチーフで。
「橋本」:線で雨を描写された風に、ナマズを描写されておりません?、ああいう風な表現もよくされるのですか?
「竹内」:しているかな〜?(笑う)(全員笑う)
——そうね、まあ雨とか風とかそう言う物は・・・あの実際見て、形ははっきりしてないですよね。ですから感覚で描くしかないから。僕の感覚で。多分あの浮世絵のかな、って。夕立が来て、傘さして、雨を避けて。あの雨は線です。ですから浮世絵好きなの。描写の線は頭の中であるかな〜。あるでしょうね!(つづき)
今回の記事を、私の大好きな竹内先生の言葉で終わらせて頂きます。
「想のふくらみ」
自然も、人も
会っているとき以上にそのあと
もっと思いをふくらませ、感懐の絵をつくっている。