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先祖ゆかりの地、廬山東林寺を日本在住の岳飛の末裔が訪問

作者: 文悦

11月12日、しとしとと降る秋の小雨の中、大阪在住の西日本新華人華僑連合会監事、岳迅飛氏夫妻が、岳飛思想研究会会長、重慶市岳飛文化交流協会会長、中華岳飛文化基金会理事長の岳朝軍氏に伴って廬山東林寺を参詣し、浄土宗の始祖、慧遠大師の衣鉢を受け継いだ住職の大安法師に暖かく迎え入れられました。

岳飛(1103—1142)と言えば、百戦錬磨の「岳家軍」を率いて、金の騎馬軍団と熾烈な戦いを繰り広げた武将という印象が強いですが、実はここ東林寺と知られざる深い縁がありました。

1132年、岳飛が九江に駐屯した時、慧海上人を東林寺の住職 に招聘し、時々禅を論じ詩文の応酬をしました。1136年、岳母が亡くなった時も、東林寺に柩を運ばせ、墓地の選定まで慧海に依頼しました。翌年、皇帝の指導方針に反対し辞表を出し、また東林寺に一時隠居しました。1140年第三次北伐を前にして『東林慧海上人に寄せる』という詩を書きました(『鄂国金佗稡編七 鄂王実行編年』)。
湓浦廬山幾度秋   湓水のほとりの廬山 幾年月

長江万折向東流  長江 何万回も曲がりくねながら東へ流れる
男児立志扶王室  男児 志しを立てて王室をたすけ

聖主専征滅土酋  聖なる主君は 敵軍を滅ぼどうと親征を

功業要刊燕石上  偉大な功績を燕然山の銘文に刻して
帰休終伴赤松游  帰休のとき、仙人の赤松子に伴って存分に遊ぼう

叮嚀寄語東林老  東林寺の長老に念入りにこと付けよう
蓮社従今着力修  今から修繕事業に尽力し待ってくれたまえ

この詩に、廬山東林寺で慧海上人と早く隠遁生活を送りたいという岳飛の気持ちが読み取れます。しかし、ついに1142年1月に志半ばで処刑されたのです。

今回、東林寺を岳迅飛氏がわざわざ訪れた主な目的は、「日本岳飛会」という日中両国を繋ぐ新たな組織の名称の揮毫依頼と、大安法師著『彼岸人』の日中対訳版の打ち合わせでした。そんな岳氏を応援すべく、岳朝軍会長がわざわざ上海から同行してきました。

  
  

岳飛と東林寺との仏縁を熟知している大安法師は、「日本岳飛会」を快く揮毫した上、慧遠大师や蓮池大师、蕅益大师、徹悟大师、印光大师など浄土宗の大徳の著作を今後日本で伝え広めてほしいと岳迅飛氏を激励しました。一行はその後、日本から贈られた青蓮が生える蓮池をめぐり、先祖岳飛が滞在した宋の時代より残っている檀の木の前で歴史を偲びながら、将来への志を誓い合いました。