一期一会 美文鉴赏中日双语

中日翻译家协会《汉译和歌》 每周一译(三)

自2018年6月11日开设《汉译和歌每周一译》专栏以来,得到了中国和日本友人的广泛关注和支持。在此表示衷心的感谢。

本专栏所译原文是选自日本文化功労者中西 进(1929年生)的《万叶秀歌》(2012年7月10日筑摩书房发行)。

他以《万叶集》等古代文学的比较研究为主,在日本文化研究和评论活动方面成绩显著,曾获日本学士院奖、读卖文学奖、大佛次郎奖、菊池宽奖。历任日本学术会议会员、日本比较文学会会長、东亚比较文化国际会议会长、普林斯顿大学客员教授、筑波大学教授、国际日本文化研究中心教授、大阪女子大学挍长、京都市立艺术大学校长等。现任高志国文学馆长、堺市博物馆长、京都市中央图书馆馆长等。

著作有《中西進日本文化をよむ》(全6巻)、《中西進 万葉論集》(全8巻)、《中西進著作集》(全36巻)、筑摩学艺文库的《万葉の秀歌》等。

たまきはる 宇智の大野に 馬並めて朝踏ますらむその草深野であるから、朝夕、二つの場面を対句的詠みこんで、繰り返し祝福しているが、反歌になるとかなり自由な気持で、詠者の感情をこめ抒情的に朝の景を歌いおさめている。反歌というのは、長歌を歌い終わったおさめとして、繰り返す添え歌のことで、この長歌と反歌を組み合わせた形式は、長歌の叙事性に短歌の抒情性を加えるものである。大陸文学の吸収によると、大変斬新な様式であった。長歌の古いものには反歌のないものが多く、《万葉集》の出発時期は、この様式の樹立とほぼ同時だった。

中皇命とは中継ぎの天皇の意味で、舒明天皇の皇后斉明のことかと言われた時期もあったが、いまは間人(はしひと)皇后説が有力である。

間人皇后.圣徳太子母子像

この皇后は天智天皇の同母妹で、叔父孝徳の皇后となった。母の斉明死後、六年ほどのあいだ、中皇命であったと思われる。間人が死んで、二年後に天智天皇が即位する。

この歌の形式上の作者 は、中皇命で、実作者は老である。
作者:間人連老(はしひとのむらじおゆ)

出典:《万叶集》卷一.4
原文:たまきはる 宇智の大野に 馬並めて朝踏ますらむその草深野(たまきはるうちのおほのにうまなめて あさふますらむ そのくさふかの)

この皇后は天智天皇の同母妹で、叔父孝徳の皇后となった。母の斉明死後、六年ほどのあいだ、中皇命であったと思われる。間人が死んで、二年後に天智天皇が即位する。

この歌の形式上の作者 は、中皇命で、実作者は老である。
作者:間人連老(はしひとのむらじおゆ)
出典:《万叶集》卷一.4
原文:たまきはる 宇智の大野に 馬並めて朝踏ますらむその草深野(たまきはるうちのおほのにうまなめて あさふますらむ そのくさふかの)

金暁明 译

君猎宇智野
群臣高马一列列
踏破深青草

朝猎宇智踏深草
君臣振魂列马来

朝踏深野草
宇治猎逍遥
君臣浩然气
列马乐归朝

———————-

趙 晴 译

晨曦映英姿
宇智大野驰飞马
辽原朝草深

旷野草深犹酣战,
驰马追猎展英姿。

号角似可闻,
大野草正深。
吾君多神勇 ,
驰马追朝晨。
———————-
陶 然 译
君猎智野早
马踏深草我陶然
列阵气宇轩

君踏智野深青草,
朝气浩荡猎马归。

众臣浩气振
宇智列马声
朝踏深野草
徜徉乐归来
———————-
趙一可 译
宇治有野兮
并驾驱驰
狩猎在晓兮
草露未晞

何事堪咏唱
宇治草露芒
驱驰深野间
挽弓良驹上

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译者趙一可

大意:夜明けのすがすがしい、朝露いっぱい置いた宇智の広大な草原にお供の人たちは馬を並べて今ごろは朝の猟をしておいでであろう。草深いその原野を踏み立てていらっしゃることだろう。
反歌:歌の大意を示したり、捕捉する歌。

文法解釈:たまきはるー「たまきはる」:は「ウチ」にかかる枕詞ーあえて訳せば、魂が極まる。
うちのおほのにー宇智(うち)の草原に、うまなめてー馬並めて、
あさふますらむー朝踏ますらむー踏み分け行く、「す」尊敬・親愛 上にくる語の活用形 未然形.。

尊敬・親愛をあらわす。「~なさる」「~していらっしゃる」。踏み均していらっしゃる。
平定していらっしゃる。
そのくさふかのーその草深野ーその深く 茂れる原野に。
「宇智(うち)=内(うち)」について、古代人は人間が息をすることで生きているという素朴な経験から、息をすることで人間の体の内を満たして生きている。
生命もまた体の内に宿り、そして生まれてくる。
体の内の内(ウチ)とは命そのものを指す言葉です。
この歌では宇智と内は同音だから用いたのでしょう。