一期一会 美文鉴赏歴史-文化

中日翻译家协会《汉译和歌》 每周一译(十二)

自6月11日开始,中日翻译家协会毎周一译为《中日新报》各位热情的读者翻译《万葉集》中的一首已刋出十二期。专栏开设以来,得到了中国和日本友人的广泛关注和大力支持,收到了一些专家学者的点评,在此表示衷心的感谢。

万叶公园

为了更好地理解《万葉集》的汉译,中日翻译家协会金暁明会长在连载专栏中除了介绍毎期的作者和作品的背景,还将根据版面陆续为读者介绍万叶集的相关知识,并希望能够听到更多的读者声音。

和歌背景图(来自网络)

万叶集的现代意义(3)
历经千秋万代,将季节的变化留在心里,细心体会和亲切感受久而久之滋养了日本国民的民族性。

文学博士武田祐吉说他是以学习歌道为目的而翻开了万叶集,在学习过程中却打开了接触祖先们所具有的尊贵的民族精神之窗。认为今天我们读《万葉集》,要敞开心扉,善待万物才能感受其精神之美。在这种意义上说来,特别是有些作品会直接触碰读者自身的情感,激起我们对日本古典的兴趣和热情。清晨、夜晚持之以恒会使我们的生活更加充实。万葉集活在纯真的民族精神之中,是永远的国民古典。读万叶集的真正意义在于,直接充实精神世界的生活,也是永远的万叶集的生命所在。

位于吉野郡大宇佗町的歌碑

对于我们久居日本的外国人,从根本上了解日本人、日本文化,对于増进中日两国人民的相互理解,建立人与人之间的信任关系也会起到积极作用。这一点也体现了在现实生活中读万葉集古典的重要性。

位于吉野郡大宇佗町的歌碑

本周是第十二期,为各位读者推荐的是享有万叶和歌第一人之美誉和被赞誉为歌圣的柿本人麻吕的作品。

作者柿本人麻吕像(金暁明收藏)

作者:柿本人麻吕(かきのもとのひとまろ)
出典:《万叶集》卷一.49
原文:日並の皇子の命の馬並めて御猟立しし時は来向かふ
(ひなみしのみこのみことのうまなめてみかりたたししときはきむかふ)
[万葉假名原文]:日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向

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金暁明 译

(一)
日並皇子令
御猎高马威凛凛
历历此刻间

(二)
日並皇子司猎令
列马出征在此时

(三)
日並皇太子,
御猎马阵开。
威武雄风再,
随影继开来。
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趙晴 译
(一)
令下并马随
日並皇子似尚在
又到出猎时

(二)
日並皇子一声令
并马出猎又此时

(三)
日並皇子威,
出猎并马随。
昔日父尊令,
如今子君追。
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趙一可 译

出此野
众贤拱兮并驰骋
圣恩齐天谕新德

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劉紅译

(一)
太子猎队行
正是当年今日时
骏马扬尘起

(二)
遥想当年今日时
太子狩猎逞威武
骏马列队起扬尘
恰似当朝少年王

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大意:
あの日、御狩が始まろうとしたあの時、日並皇子の命が馬を一斉に並べて、御狩の壮麗な装いと凛々しいお姿でお立ちになった、あの瞬間がもうすぐやって来る。その瞬間に、今、軽皇子が立ち向かわれるのだ。
なき日並皇子が馬を並べ、朝の狩に踏み出そうとされた、その時の時刻が近づいている 。
背景:
この歌は、日並(ひなみし)の皇子のお子さんである軽皇子が奈良の安騎(あき)の野で野宿をしたときに、同行した柿本の人麻呂が日並の皇子を偲んで歌った歌の一つです。

解釈:
「日並の皇子の命」は、日(天皇)に並ぶ皇子、すなわち皇太子。亡き草壁皇子のこと。
「立たし」上代語。四段動詞「立つ」の未然形に尊敬の助動詞「す」のついたものの連用形。
「し」接助。体言・活用語の連体形、連用形、終止形・副詞・助詞などに付き、語調を整える副助詞、強調の意もある。
「し」は過去(カツテ・・・タ)の助動詞「き」の連体形。
「来向かふ」[動ハ四]時や人がやってくる。近づいてくる。

この歌は、日並(ひなみし)の皇子の子軽皇子が奈良の安騎(あき)の野で野宿した時、同行した柿本朝臣人麻呂が日並の皇子を偲んでの詠歌。

草壁皇子が亡くなってから3年あまり、持統天皇は皇子の遺児、
軽皇子を皇位継承者として印象づけようとしていた。

参考文献
1、《万葉の秀歌》中西進著 2012年7月10日筑摩书房发行
2、《写真でみる万葉集》 一九六〇年朝日新聞社
3、《万葉花譜》田中真知郞著(有)光書房
4、《日本文学研究資料万葉集》有精堂出版株式会社
5、《万葉秀歌探訪》
6、《日本人の心の言葉.大伴家持》铁野昌弘著
7、《初期万葉》阪下圭八著
8、《万葉歌を読む》佐佐木幸系岡著.岩波書店
9、《万葉を解読》佐佐木隆.日本放送出版協会
10、日本語大辞典、講談社第二版